死ぬまでにしたいいろんなこと

墺太利(おーすとりあ)滞在6年

ただの日記。真夏日・シュプリッツァー・少しだけ希望

ただただ毎日、何もしたくない日が続く。

ロックダウンが始まった3,4月はまだ頑張れていたけど、

5月に入って頑張れない日が増え、

7月はほとんど頑張れてない日々だった気がする。

このままの勢いで行くと今年の終わりには私は息を吸って吐いてエサを食って出すだけの肉の塊に成り果てるのではないかとの恐れがある。

 

なんとかモチベーションを上げようと「後悔しないためにはどう生きたらいいのか」系の本を数冊読んでみたが、こんなぬるま湯に首まで浸かっているような状況でメメントモリしろというのが私の貧弱な想像力の前には土台無理な話だった。

 

「今までの人生で死にかけた経験を思い出し、しばらくその記憶に向き合うと、今生きていることに感謝できる」

 

などと書いてあったが、死にかけた時とその周辺の記憶なんて辛すぎて思い出す気にもならない。めんどくさがり、ここに極まれり。

 

かくして私はぬるま湯が冷めきって手遅れになるまで行動を起こさずに老いてゆくのだろうか。そんなことを30℃を連日超える、クーラーもないウィーンの夏の日の中で抱え続けていた。

 

今日も今日で朝から快晴、あまりにも暑すぎて扇風機をかけながら昼寝をしたら、目が覚めたときには日が落ちていた。夫を誘って近くのバーまで夕涼みに行った。

 

夫はジントニックを、私はガスなしの水を頼んだが、友人のバーテンダーは「ここに来て水はねえわ!」と言って勝手にシュプリッツァー(白ワインの炭酸割り)を持ってきた。どんな接客だ。

(水もシュプリッツァーも大して値段は変わらない。)

 

氷でキンキンに冷えたシュプリッツァーは美味しかった。こんな暑苦しい夜だから、すいすい飲めてしまって、それでも酒に弱い私はグラスの半分を過ぎたところで、それなりにへべれけになっていた。

 

夜道を夫と連れ立って、とろとろ歩いて帰ってきた。もう一回だけ、ちゃんと辛くても努力してみようかな、となんとなく思った。

 

日本で「死ぬほど辛い努力」というのはお腹いっぱい経験して、しかもそれがクソの役にも立たなくて、あの時間が1ミリも報われないなら二度とself discipline を伴う苦しい努力なんてしてやるかとかたくなになっていた。

 

酒と気温で熱くぼーっとする頭で、もう1回だけ、とにかく向き合ってみよう、それでダメならやめたらいいし、とふわふわ思うと、もう1回だけならできそうな気がして、それがからだ全体にこだましているような気分になった。

 酔いがさめたらどっか行ってしまうものかもしれない。それでも明日からは、もう、大丈夫な気がした。

 

(これは昨日書いた日記なんですが、今日のところは大丈夫でした。)