死ぬまでにしたいいろんなこと

墺太利(おーすとりあ)滞在6年

いつまで続く、人生の夏休み

オーストリアに1年の予定で留学を始めたとき、これは私の人生の夏休みだと思った。

日本であった色々なことから解放されて、子供の時以来はじめて呼吸が楽にでき、見るもの全てが鮮やかな印象を残し、毎日を生きてるだけで何か自分が大きくなっていくような気がした。

これが終わったら日本で、出来るだけ穏便に人生の秋を過ごし、ひとりで冬を迎え死ぬ。それでもいいと思った。夏休みが楽しかったから。それさえなく死ぬ人だってたくさんいるのだろうし。

 

色々あって夏休みは延長され、今年で5年目になった。

そしてCOVID-19のおかげさまで、今年その夏休み感は強調されまくり。イベント関連の仕事をしているため、お給料の何割かの休業補償をもらいながら、仕事の再開を待ちわびている。暇なので許される範囲でバイトをしている。仕事が再開できない場合を想定して新しい職場を探しつつ。

 

それでも余る時間を、あの手この手で楽しもうと努力する。そう、努力である。

ドイツ語の勉強をしたり、本を読んだり、プールに行ったり、運動したり、料理したり。

ひたひたと打ち寄せてくる「こんなんでいいのか」という罪悪感を手で押し戻しながら。

 

仲のいい同僚とたまに電話をするのだけど、結局どちらかが「今後わたしたちどうなっちゃんでしょうね・・・(ため息)」と言い、沈黙が流れ、なんとかニュートラルな話題に無理やり戻し、take care! bleib gesund! cuidate! などの言葉でお茶を濁しつつ別れることになる。

 

本当は旅行でもしたいところだが、この時期旅行することで負うリスクが怖いので個人の判断で行かないことにした。

かくして宿題も旅行もない夏休みは延々と続く。