死ぬまでにしたいいろんなこと

墺太利(おーすとりあ)滞在6年

トラブル多すぎドイツ国鉄と、最近のストレスについて

いま仕事の現場に向かうICE(ドイツの新幹線)の中で書いてます。

今日はですね、一日早く現場に先乗りして、今日の夕方と明日一日中、ホテルの近所のプールでゆっくりしようと心に決めてたんです。

ところがどっこい、現地に向かう長距離電車(予定では5時間で目的地着)がですね、道半ば1時間半ほど走ったところで、田舎の何にもない駅で突如半分だけホームに接した不自然な感じで止まり、

「乗客の紳士淑女の皆さん!残念なお知らせです!我々の機関車がぶち壊れました!これ以上列車は前には進みません!降車してあとは頑張ってそれぞれご自分で目的地までたどり着いてね!」

みたいなやりきった感あふれる爽やかなアナウンスとともに小さな駅に投げ出された我々乗客。

そこからローカル線で大きめの駅まで移動、そこからさらに中距離列車で新幹線駅まで移動。そこからやっと現地に向かう新幹線に乗車したところです。

 

本当は16時に現地着予定だったのに、おかげで到着予定20時ですよ。

うんざり。

まあもう慣れましたけど、DB(Deutsche Bahn、ドイツ国鉄)の遅れとトラブルの多さには。時間通りに着いたこと、引っ越してから20回以上の長距離移動において、1回だけですもん。

 

そんなトラブルはありつつも、お休みを取った自分の決断は本当に良かったです。

先週末の仕事とか、疲労とストレスで本領の半分以下しか発揮できてなかったので。

もうちょっと休みが遅かったら健康面に被害が出ていたでしょう。

 

さてストレスの大きめの原因なんですが。

私がとても尊敬していて仲も良くて、いっときは数ヶ月ほぼ住み込みでアシスタントをしていたアーティストの女性がいるんですが、

彼女は大変繊細で敏感で、他人を信用することが難しい分、誰にもとても心優しく礼儀正しく接するんですが、家族など身近な人には良くも悪くも正直になってしまうというか。

で、最近また彼女と仕事しているんですけど、私が身近な人認定されたのか、仕事中に泣かれたりキレられたりするようになってしまいまして。とても純粋に「自分は誰に対しても善人でいなくては」と思っているタイプの人で、確かにどこからどうみても善人なんですが、結果的にとても私にストレスを与えているという笑

先週も仕事中に彼女と他の同僚と歓談していたところ、あとから呼び出されて「さっきのあなたの言葉に傷つけられた!私はあなたにはちゃんと私をわかって欲しいから今から説明する!」と泣きキレられまして。「ごめんね、私が悪かったよ」とは言ったものの。正直「めんどくさ」と思ってしまった自分がおりました。

私のことを身近に思って正直になってくれるのは光栄なんですが、私の方が彼女の「家族のような存在」になる覚悟はないのです。仲のよい友人でいるために、距離を置きたいと思ってしまいました。大好きなのだけれど。ごめんね。

 

私が困っている時には助けてくれたし、今後も私が助けを求めれば必ず助けてくれるとは思うので、私もフェアでありたいのですが、ちょっと関係がトキシックというかアンバランスになってきている感がするので。

 

彼女の言動と関係があるかはわかりませんが、

 

「誰かのことを自分の思うように変わって欲しいと思わずに、その人をありのままでいさせて、それでも大事にすることが愛だ」

 

みたいな事をSNSにポストするような人が、彼女を含め私の仕事コミュニティには結構多い気がします。

私はそんなことは無理ですし、それを美しいとも思いません。目指そうと思わないし、そうして欲しいとも思わない。無神論者だからなのか、生物学者だったからなのかはわかりませんが。これはキリスト教的家族愛価値観で育った人たちに多い価値観なのかなあ、などと思案。

 

「昨日イタリア人同僚が作ってくれた【4時間煮込んだオックステールのトマト煮パスタ】が死ぬほど美味しかった!」

みたいな能天気な記事を書くはずだったんですが・・・なんか暗くなっちゃった。

ちなみにパスタはほんと美味しかった。鍋の底まで舐める勢いで美味しかったです。