死ぬまでにしたいいろんなこと

墺太利(おーすとりあ)滞在6年

仕事でインスブルック・夫と久々の再会・ドイツ新生活のことなど

ウィーンからインスブルックに向かう電車の中でこれを書いている。

 

インスブルックでの仕事が決まった時に、1日早くウィーンに行って、夫のいるアパートで一晩過ごし、買い物やら残してきたものの片付けやらしてから、翌日に電車で現地に向かおうと予定を立てた。

 

夫は「じゃあ晩ご飯か翌日の朝食をどこかにでかけて食べよう」といった割には結局私の予想どおり「仕事が忙しくて無理」となり、

ろくに話もできずに今朝、寝ぼけている夫に「もう出かけるから!Baba!」とだけ声をかけて、何百回も通った駅までの道を、何百回もそうしてきたようにスーツケースをゴロゴロひきながら歩いた。

次にここにくるのは仕事でウィーンに来る初夏になる予定。

 

久しぶりに夫に会ったら何か気持ちに変化が起きる可能性は意識していたが、まあそんなことはなく、そこそこ仲の良い男兄弟に会ったような気分だった。

 

最近はじめたドイツど田舎のシェアハウス社宅暮らしは、同居人はもう何年も一緒に仕事している人たちがほとんどだし、

みんな共有住居での心構えがきちんとしているので、擬似家族のようでありながら踏み込みすぎることもせず、

波長が合う人とは1時間くらい洗濯機の前で井戸端会議したりして、そういうひとときを心から愛している私としては、

仕事はもう楽しいばかりで、

私がドイツ語や英語やスペイン語で言葉を尽くしても言いたいことの30%以下しか伝わってない気がする孤独とか、

血のつながっている人間が陸続きに一人もいない孤独(自分のケツ持ちは自分だけ)とかはそこにあるのがデフォルトとして共存しつつあるし、

もう何にも不足はない、満足してしまっているのだな、と、

夫と再会してそのように感じている。

 

もうあとはどれだけ平和に(健康面・経済面で)年老いて死んでいくかを気をつけていくだけである。なるべく長く、自分のこんな感じの人生を楽しんで生きていけるように。