死ぬまでにしたいいろんなこと

墺太利(おーすとりあ)滞在6年

はじめての「ほどこし」

今日、初めて物乞いの人にお金をあげた。

 

最近在宅の仕事も忙しくて、今日は知人の会社の手伝いバイトの帰りで、

くたくたで、立ちっぱなしで足も痛くて、お腹も空いてて、携帯の電池は切れかけてて、

いつもならできる語学アプリも使えなくて、ぼーっと路面電車を待っていた。

 

明日は休日だからゆっくりお菓子でも焼こうと思って、でも牛乳も生クリームもないことに気づいて、帰りに買い物に行こうと思ってたら、もうスーパーは閉まってて、

仕方がないから大きな駅でわざわざ一度降りて、夜遅くまで開いているスーパーにわざわざ行って、

牛乳に生クリームに、アーモンド入りのオリーブの瓶詰め、ツナ缶などやたら重いものばっかり買って紙袋に詰めて、

仕事の道具といつでも勉強できるように持ち運んでる勉強道具でぱんぱんのリュックサックを背負って、

スーパーの袋を片手に下げて、

荷物の重さでちょっと右に傾きながらトラムを待っていた。

 

そしたら、男性の物乞いが私の目の前に視界を遮るように突然立って、

私の目を見て、

「こんばんは。(お金を)恵んでください」とドイツ語で言った。

 

私は最近のCOVID19の感染拡大の影響で、またいつでもどこでもつけなくてはいけなくなったマスクで顔が半分以上隠れた状態に無意識に感謝していた。

そして、視線と、本当に小さく首を1回だけ横に振ることで、

「あげません」

と伝えた。

彼は何も言わず何の表情も見せずすぐ立ち去った。

私は物乞いに話しかけられるのが嫌で、端っこの方に立って待っていたから、多分私が最後のターゲットだったのだろう、誰にももう話しかけずに、次のトラムの客を待つようだった。

 

それからすぐに電車はやってきて、ドアが開き、たくさんの人が流れ出し、

流れが途切れ、今度は別の流れが車内に向かって流れ込んでいく。

私もその流れの最後尾にくっついていかないといけない、それまでの短い時間で、

私は先ほどの物乞いの彼が、

「こんばんは(Guten Abend=よい晩ですね)」と言ったことを思っていた。

それに私は、顔の半分以上も見せず、声も発さずに否定の意だけを伝えた。

 

私はジャケットのポケットに突っ込んで財布を握りまわしていた右手を引っ張り出し、

流れの最後尾にくっついて行きながら、財布を開けてそこにあった数少ない硬貨を取り出して、駅の柱にもたれながらボーッとしている物乞いの彼に、無言で目を合わせて右手を突き出した。

彼をはそれを無表情で「Danke」とだけ言って受け取った。

嬉しそうでもなく、幾らかを数えもせずに彼はそれをポケットに突っ込んだ。

電車に乗って、窓ガラス越しに彼を見た。

足を引きずりながら、それでも足早に、どこかへと向かって行くようだった。

 

私は嬉しくもなかったし、ましていいことをして誇らしいとも思わなかった。

悲しくもなく怒りもなく、彼が硬貨を受け取った時のように感情はなく無表情だった。

 

いつも物乞いがやってくると、私はつい「働けよ」と思ってしまって、お金をあげる気がなくなる。

ガイコクジンの私は、仕事場で、自分より全くもって能力も知識も劣る人間から(そう書くのは傲慢なのは百も承知だが、わかりやすく書こうとするとこう書くしかない)、ドイツ語が下手だというだけで、使えないゴミみたいな扱いをされることがあった。

 

自分にいろんなことが起きて、私が彼のポジションだったかもしれない、そう思うことが多分、一番正しいのだと思う。私だっていつも、"in his/her shoes" の精神で生きて行きたい。

 

でもそれがまだ私には難しい。特にウィーン市内で見ない日はない、物乞いの人たちに関しては。

 

修行が足りないな、と思った。