死ぬまでにしたいいろんなこと

墺太利(おーすとりあ)滞在6年

簡単に永遠とか言わないで欲しいって言う話。

先日、仕事のために一応持っているFacebookアカウントをなんとなく眺めていたら、ある写真つきの投稿がふと目に飛び込んできた。一昨年、仕事で知り合った同い年くらいのドイツ人の女の子が、最近手に入れたのであろう子犬と自分の写真に添えて、

"#fürimmerbeimeinerseite"

(=forever by my side、永遠に私のそばに)

と書いてあった。

 

私はこの投稿にとても違和感を覚えた。

 

20歳くらいまでの子が、

"BFF"

(=best friend forever)

とかいうのは、まあかわいいな、と思うが、

三十路を過ぎてこの人は、自分が死ぬことも犬が死ぬこともわからないのか?と思ってしまったのだった。

が、ふと考えてみると、この女性だけでなく、欧州人はよく「永遠」を使いがちだな、と思った。。

よく見かける、配偶者との写真、子供の写真、友人との写真。

i love you forever, forever my love, friendship never ends.

私なら絶対に使わない言葉たちだ。

 

もしやこれはキリスト教の影響なのかと思って調べたら、

やはり「永遠の命」というのが教義の中で重要な存在のようだ。

「天国にいくこと=永遠の命を得ること」だと。

だから、例え信心深くない人でも、「永遠」は身近な概念なのだろう。

キリスト教含め宗教に関しては不勉強がたたっているので、間違っていたら申し訳ない。)

そう考えれば、先述の子犬の投稿もまあ、納得はできる。

 

だが私はあまりに簡単に「永遠に一緒」などの言葉を使う人とはお友達にはなれないだろうな、とも同時に思う。

私は「永遠の愛」よりは「諸行無常」と「愛別離苦」により親近感を覚える。

そのあたり、信心深くなくとも仏教がより身近で、私の考え方にかなり大きな影響を及ぼしている。

これは私の憶測であるが、日本の若い人でも「ずっと友達」などは比較的簡単に言うと思うのだが、それは無意識のうちではあっても「死ぬまでずっと」ぐらいの意味で、「(死んでからでさえ)永遠に友達」とは思っていないのではなかろうか。

 

で、何が言いたかったかと言うと、宗教とかその周辺の概念の違いって、国際結婚の dealbreaker になりうるなあ、と。

もし夫が付き合っている時に「永遠に君を愛してる」などと言っていたら、私はそんな奴とは結婚しなかったであろう。

私たち夫婦は結婚の1年後に、親しい友人だけで無宗教の、とはいっても段取りはキリスト教の儀式をベースにして、式のようなものをした。その時も牧師役の人に、

「死が二人を分かつまで〜」と例の質問をされて、私ははい、と返事はした。

内心では、

「はい(、誓いはできませんけど、そうなるよう努力をすることは約束します。ま、死ぬまでくらいならできなくはなさそうだし)。」って感じであった。

もし「永遠の愛を誓いますか?」などと聞かれていたら、首をブンブン振ってNOと答えたであろう。そんなもん約束できねえし。

 

私たちの初めての結婚記念日に、夫は、

「これからも、ずっと、こうして一緒に過ごしていけるといいね」と言った。

正確には英語で、

"hopefully, many many years"

と、言った。

 

私は、私たちの時間に限りがあることを意識している夫と結婚できてよかったと思った。

そういえば私のブログのタイトルも「死ぬまでにしたいいろんなこと」だった。

私はいつか終わりが来ることを意識して生きている人が好きだし、また自分もそうでありたいと思うのだった。