死ぬまでにしたいいろんなこと

墺太利(おーすとりあ)滞在6年

ただの日記。日本に帰り、ウィーンに戻り、4度目のロックダウン。

日本に帰っていた。

仕事の予定もCOVID関連の規制でなかなか確定せず、

予定が決まった瞬間にその週のフライトを予約するような勢いで帰ってきたのだった。

 

やはり飛行機はガラガラで、

その点は隣の人に気を使わずグースカ眠れたので良かったのだが。

こんな人数のためにこんな大きな飛行機を飛ばすってもったいない・・・と心が少し痛んだ。

 

10日間は実家で隔離だった。

隔離期間中も秋晴れの空を眺めながら本を読んだり、

人の少ない河原の道を散歩するのは悪くなかった。

 

いつものごとく帰国メランコリーになっていた。

今回はせっかくの自宅待機期間を利用して、実家にあった自分の荷物のほとんどを処分した。

帰国の度にこつこつ片付けてはいたので大した量ではなかったが、本やらノートやらの紙類だけ残ってしまっていた。

15歳から書きためていた日記も、大学の教科書も、手帳も写真もアルバムも、見返したくないと思えるものは全て捨てた。大して時間はかからず片付けは終わった。

かくして私は記憶ロンダリングの成功と引き換えに本当に美しかった思い出も失ったのであろう。

 

予定を終えて両親が羽田まで送ってくれた。

3人でお茶をして、元気でねとハグをした。

最近の両親はそれを嫌がらないで受け入れていて、少し笑ってしまった。

 

いつものごとく、ひとりになって保安検査場に入ると涙が溢れてきた。

いつものごとく、両親への罪悪感が全身をひたす。息がうまくできない。

生老病死は避けられないと何千年もわかっているのに、人類は進歩しないなあ、と思いながら心を落ち着ける。

 

それでも乗り継ぎの空港に着く頃には、明日からの生活を考えて前向きになっているのだから、私のセンチメンタルも信用ならない。

 

4度目のロックダウンのウィーン。

仕事はかろうじてまだ続いているが、それもいつまた休止になるかわからない。

今度また休職扱いになったら、何かがぽきりと折れそうな気がする。

 

それでも毎日淡々と、できることを繰り返していくしかない。

母さん、父さん、不良娘は案外元気にやっているので、心配しないで下さい。