死ぬまでにしたいいろんなこと

墺太利(おーすとりあ)滞在6年

自分の生き方と、ものをたくさん持っているオーストリア人の生き方との、対比

片付けにちょっと疲れてきました。

息抜きに、片付け中に思ったことを書きます。

 

知人に2人、ものをたくさん持ってる人がいます。

二人とも男性、ひとりはドイツ人。彼はアンティークコレクター。

 

もうひとりは、オーストリア人。

彼の趣味のコレクションもさることながら、

小学校のときに夢中になっていたゲームとか、

歴代の仕事道具とか、全部とっといてあるのです。

さらには無くなったご両親のものとか、さらにご先祖様からのものも。

 

断捨離がもはや常識の国からやってきた私には信じられない量のものと一緒に生きている彼。

 

ものが増えるたびに広い家に引っ越しているらしい。

さらにそれだけの家を用意できる経済力があるのがすごい。

 

ここ連日の「ときめかないものは捨てる!」という日々のなかでふと、

 

彼が小さい頃遊んでいたゲームを引っ張り出しながら、

思い出話をしてくれたのを思い出して、

「私はそういうもの、何もとっておいてないなあ」と、

少しさみしくなりました。

 

まあ、Altbau という、第二次世界大戦前からの古いアパートメントがごろごろしており、

その屋根裏から歴史的に貴重な資料が見つかった!みたいなニュースもごろごろしている国の人だから、

考え方も違うのだろう・・・という結論にいたりました。

 

なにより単身、遠い島国からヨーロッパにやってきたわが身に、

郷愁のためだけの形あるものは無用の長物。

 

なんだか本当に根無し草だわー、と思いました。

自由ですがすがしいので、私には合っているのですが。

 

一方で自分の歴史も家族の歴史も、

ずるずるずるずる、引きずりながら生き、

それを全部うけいれられるだけの家を保っていく彼ら。

 

私は彼らの「重い」生き方を尊敬するし、

彼らも私の「身軽さ」を尊敬しているらしい。

 

両方のタイプの人間がいて、世界はうまくバランスをとっているんだろうな、

と思いました。