風邪をひいてました。
私が体調が悪いというと、
オーストリア人のパートナーはビーフスープを作って小分けにして冷凍しておいたやつをあっためなおして出してくれます。
ビーフスープといっても、牛肉と牛骨と野菜とハーブをアクを取りながら丸一日コトコト煮込んでとった、透明なやつで、とても胃に優しいです。
しかもおいしい!
日本では風邪ひきの人のごはんといったらおかゆですね。
アメリカではチキンスープと聞きました。
各国の「風邪ひきごはん」を知りたい今日この頃です。
風邪をひいてました。
私が体調が悪いというと、
オーストリア人のパートナーはビーフスープを作って小分けにして冷凍しておいたやつをあっためなおして出してくれます。
ビーフスープといっても、牛肉と牛骨と野菜とハーブをアクを取りながら丸一日コトコト煮込んでとった、透明なやつで、とても胃に優しいです。
しかもおいしい!
日本では風邪ひきの人のごはんといったらおかゆですね。
アメリカではチキンスープと聞きました。
各国の「風邪ひきごはん」を知りたい今日この頃です。
6月に、仕事でスウェーデンの Malmö (マルメ)という街に行きました。
デンマーク・コペンハーゲン空港から電車で30分もあれば着いてしまう!
これはオーレスン・リンクという全長16kmの橋+海底トンネルのおかげ。
まずは空港の券売機でマルメ郊外行きの切符を買おうとしたが、
国際線と国内線の券売機の区別がつかない。
(始め国内線の券売機にならんでしまい、あれ?となって気づいた)
さらに国際線の券売機を発見したはいいが、担当者から送られてきた駅名が
"Malmö Hyllie"と書いてあったため、
必死でM の行を探すも、ない。
後ろに並んでいたスカンジナビアンぽい青年に助けを求める。
デンマークかスウェーデンの方ですか?手伝ってもらえません?と英語で尋ねる。
ラッキーなことに彼はスウェーデンの人だった。
彼にボタンを操作してもらい、切符の謎が判明。
駅の名前は実はHyllie 駅で、H で探さないと出てこなかったのである。
ヨーロッパではよく同じ名前の駅があるので、
国際的には「都市の名前 駅の名前」と表示されているけど、
(例:Wien ◯◯straße = ウィーン ◯◯通り駅)
地元では「駅の名前」しか使われてない、ということが多い。
ちなみにこの"Hyllie"、私にはどう頑張っても読めない発音であった。
無事にチケットを買って駅で電車を待っていた。
・・・6月だというのに、寒い。このころウィーンは半袖で全然OKだったので、
うっかり上着を持ってこなかった・・・さすが北欧。
(薄手のは持ってたけど、それじゃ足りない感じ・・・)
さいわい、すぐ電車がやってきて、無事に乗ることができた。
電車は出発後すぐに、前出のオーレスン・リンクにさしかかる。
車窓から見る久々の海に感動・・・!!
最後の日本帰国から1年半以上、海を見ていなかったのでとてもうれしかった。
紺色にうねる海は、日本の海に似ていて、郷愁をおぼえる。
目的の駅に着き、ホテルまで徒歩。
ホテルのフロントのお嬢さんの笑顔に癒される。
この仕事の前にデンマークに入った時にも思ったのだが、
北欧の人はとにかく愛想が良くて礼儀正しい。
ウィーンだと、もちろん愛想の良い店員もいることはいるけど、
空港とかスーパーとか、やることが決まりきってるような場所は、
たいてい職員はぶっきらぼうなことが多い。
そのあたり、スカンジナビアンは日本人っぽくて、
日本人が移住したりしても、そんなに違和感はないかもしれない。
(でも物価はめちゃめちゃ高いから注意!)
その日はすぐに眠ってしまった。
翌日と翌々日、仕事の合間を縫って観光。
マルメ城。渋さとお堀が日本の城と似ているかも。
お城の近くの公園にたくさんいた、ウィーンでも日本でも見たことのない種類の鳥。多分ガンだと思うのだけど・・・
広場。建物の並び方、雰囲気がかわいい。
祝日だったので広場では軍隊の楽隊が演奏をしていた。
歩き疲れて入った広場の近くのカフェ。
雰囲気がものすごいよかった!
コーヒーおいしかったし、右側のブルーベリーのケーキがなんとも素朴な味で癒されました・・・
次はゆっくり観光で来たい。
街を歩いていても思ったのですが、スウェーデン(少なくともマルメ)の人・街からは、
日本人が親しみが持てそうな「マジメ感」がただよっていた。
なんというか「いつも楽観的じゃダメだ。先のことも考えなきゃ」みたいな。
「なんてったって俺たちには冬が来る・・・!!」
ってことなのだろうか。
最終日、帰りの飛行機まで時間があったので、コペンハーゲンの街も少し歩いた。
ロイヤルコペンハーゲンカフェ。
使っている食器はもちろんロイヤルコペンハーゲンです。
飲み物も食べ物も美味しかったけど、びっくりするぐらい高かった!
スウェーデンとオーストリアはそうそう変わらないな・・・という感じ。
物によってはスウェーデンの方が安いかも!?という時も。
(あくまで私の体感ですが・・・)
ただ、前出のとおり、人や街の感じは日本人にはなじみやすいかもしれない。特にマジメな人は!
まとめ:北欧はヨーロッパの「いやし系」だと思う。
今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」
祖母の話を書こうと思う。
父方の祖母で、もうだいぶ前に亡くなってしまった。
でも、たしか、米寿のお祝いをしたのが元気で会った最後だったから、大往生だった。
祖母は、田舎の山あいの村で生まれて、育って、結婚して、ずっとそこで生きてきた。
祖父が亡くなってからは長男一家と、同じ場所に住んでいた。
それがある時、突然、我が家(東京に出てきた次男坊一家)で暮らすことになる。
ある時、祖母のいる村で震災が起こった。
祖母はタンスの下敷きになり頭を打ったが、幸い出血だけで済んだらしい。
当時もう80歳を超えていたと思う。
少し認知症も始まっていたし、持病があるため、とにもかくにも祖母だけでも、ということで、
父が車で祖母を東京に連れてきた。
当時私は受験生で、
思春期特有の、自分をどう扱っていいかわからない、
ものすごい苦しみのなかにいた。
勉強になんて全く身が入らず、他のことでもそのイライラを消化できず、
とにかくとにかく苦しかった。
で、ある日、朝起きたら、食卓に祖母がいた。
そして私に、
「やもり、おもしー顔になったがー」と言った。
(おもしろい顔になった、の意。私は当時、ストレスによるむちゃ食いでぶくぶくに太っていた・・・)
それからしばらくの日々、私は「祖母の相手」という免罪符を得た。
学校から帰るとすぐ、祖母とお茶を飲んだ。
湯呑みだと手がすべってしまうので、祖母は私が小さい時に使っていた取っ手付きのカップでいつもお茶を飲んでいた。
ふちのところにペンギンの絵が描いてあって、ぐるりと一周、ペンギンが歩いている。
祖母はお茶を飲み終わると、必ずペンギンを数え、
「9羽」と満足そうに、誰にともなく報告してから、カップをテーブルに置いた。
祖母にとっては、毎回、初めて見るペンギンのカップだったのだ。
私はいつもそれから「おばあちゃん、散歩に行く?」と聞いた。
祖母は、外がどんな天気でも、絶対にイエスと言った。
雨の日は、集合住宅の廊下を、杖でゆっくりと往復し、最後にエレベーターに乗り、降りて、ポストをのぞいて、またエレベーターで登る。
祖母はいつも自分でエレベーターのボタンを押し、カカカ、と、おもしろそうにわらった。
休みの日は、父の運転でいろんな所に出かけた。
外出が好きな祖母で、どこに連れて行っても喜んだ。
そう、祖母は「帰りたい」とか「戻りたい」とか全く言わなかった。
いつも
「(長生きすると)おもしーこともあるがー」
(おもしろいこともあるもんだ、の意)
とわらっていた。
数ヶ月して、仮設住宅のメドがたち、祖母は帰って行った。
私たちと暮らしている時、祖母が震災について話したことといえば、
「自衛隊のヘリに乗せてもらった!」
(乗せてもらったっていうか、病院に搬送されたんですけど・・・)
ということ。そんな感じだった。
夕方、よく再放送の「水戸黄門」とか「大岡越前」とかを一緒に見た。
ある日、テレビをつけると、時代劇がやってなくて、かわりに人気だった医療ドラマの再放送が流れていた。
私は生物学全般が好きで、志望になんとなく医学部も入っていたし、医療の話は好きだったので、ドラマをつけっぱなしにしていた。
祖母が悲しそうにテレビを見ているので、私はてっきりストーリーを勘違いしているんだと思い、
「これはこういう手術で、この人はこんな病気で〜」と解説すると、祖母が血相を変えて、「やもり、お前医者なのか。医者にだけはなってくれるな」という。
私が「私まだ高校生だし、医学に興味はあるけど、まだわからないよ〜」と言うと、
「とにかく医者だけはやめてくれ」と泣きそうな顔で言う。
結局、私は医者にはならなかったが、祖母がなぜあんなことを言ったのか、
理由は聞きそびれたままだ。
それから祖母の認知症はだんだん進んでいった。
持病もゆっくり悪化していった。
最後に病院のベッドで会った祖母は、高熱でうなされて、
もう、誰が誰だかもわからなくなっていた。
なんで祖母はあんなに明るくいられたんだろうか。
そしてなんであんなに医者が嫌いだったんだろうか。
歳をとってから環境がかわって、祖母のようにいられる人は、きっと少ない。
↓
違う震災ですが、似たような境遇のおばあさまが出てきます。
明るいタッチでかかれていますが・・・
昔は自分より若くて(もしくは同い年くらいで)才能もあって努力をしている人を見ると、
まるで自分の怠慢が責められているみたいで見るのが辛くて仕方がなかったが、
最近まったくそういうことがなくなった。
いいことなのか悪いことなのか。
仕事に必要なスキルを英語の動画で学んでいるのだが、
昨年と比べても理解度が全く改善していない。
多分ディクテーションとかやらなきゃだめなのだ。
それでも毎日、やらなきゃなー、と、
うすらぼんやり思うだけで、絶対にやろうとしない。
そういうのも、もしかしたら関係はあるのかも。
生きやすくはなったけど、生きるスピードが落ちてる気がする。
オーストリアに来て自分で料理をするようになってから、
市販のお菓子やできあいのものを買おうと思わなくなりました。
日本はちょっとお金出せばそこそこおいしいものをテイクアウトできるけど、
ウィーンはかなりしっかりお金を出さないと手に入らない(と感じる)。
あと、オーストリアの食べ物は全体的に味が強いし、
食事は野菜不足が否めません・・・
日本では絶対に手作りしないような、
餃子とかコロッケとか、よく作るようになりました。
日本食をちゃんと手作りするようになるのも、
海外生活のいいところかもしれません。
納豆とかお味噌も手作りしている人いっぱいいるので、
今度私も挑戦してみます。
今日は何作ろう。
もう夏は終わってしまったみたい、と前回の記事に書いておきながら、
昨日は33℃と真夏日に・・・
今日も30℃を超える予報です。
「でもでも、今度こそ多分、最後の夏日!」だとラジオの天気予報が申しておりました。
オーストリアはアルプス山脈の影響でお天気予報が難しいらしいです。
そのせいか、本当によく予報が外れる!
面白いくらい外れるので、ぜひオーストリアにお越しの際は地元の天気予報を確認していただきたいと思います。
オーストリアで一番夏らしい7月を過ぎ、8月も中盤に入ってから、
ちょっとした体調の変化を感じています。
やたらお腹が空くのが止まらないし、家事を億劫と感じる場面が増えたなあ、と。
そして、思い出しました、今年もヤツが来るということに。
そう、冬です。
正確には冬季うつです。
日本でも冬はいくぶん憂鬱になっていた私ですが、
オーストリアに来てから、憂鬱で片付けられないレベルに精神の安定および体調を崩すようになりました。
寝てばかりいる、やたらお腹が空く、わけもなく悲しくなる、普段ならどうってことないストレスにやられてしまう、など。
知人のオーストリア人の医師にすすめられたこともあり、
今年から光療法を始めることにしました。
ちなみにヨーロッパ(南欧はわからないけども)では冬季うつはけっこう知られている問題らしく、ドイツのアマゾンでは光療法のライトが50ユーロ台から買えます!
ちょっといいやつでも150ユーロいかないくらい。
日本円だと今、50ユーロ=6500円くらいですね。
日本のアマゾンをみたら、光療法のライトがなんと、4万円もする・・・!
その点を考えても、欧州ではけっこう多くの人が困っているんだと予想できます。
医師のオススメは、8月から光療法を始めること。
なぜなら早い人は8月から症状が出始めるから。
・・・私のことだ!
というわけで、ライトが届いたら使ってみて、レビューをしてみたいと思います。
今年は元気に冬を越せますように・・・
昨日、母からの小包が届いた。
今日はその中に入っていた中華◯昧を作って食べた。
実に3年ぶり。
めちゃめちゃうまい。
私が小学生・中学生だったこと、
奇数週の土曜日は学校が午前中まで授業をやっている時期があった。
土曜の昼過ぎに帰ってくると、母は決まって中華三◯を作ってくれた。
(夕飯の準備もあるしね)
なので私にとって中◯三昧は土曜の昼過ぎの味、である。
・・・今回は水曜の昼に作ってしまったけど。
母はいつもTBSラジオを聞いていて、
土曜の昼は永六輔さんの土曜ワイドが流れていた。
多分わたしはそのことを死ぬまで何度も思い出すと思う。
今日のウィーンは快晴。雲ひとつない。
気温は22℃。たぶんもう夏は終わってしまった。