ここ数日、ちょっとメランコリックです。
慣れたものなので、たくさん寝てウォーキングにでも行けばいいんです。
あ、道が雪プラス氷で歩けないんだった・・・
私は滑って転ぶ常習犯なので、無理はしないようにしてます。
じゃあ歩けないなあ・・・
スクワットでごまかすことにします。
高校生の頃、部活の練習の終わり。
グラウンドから引き上げようかとしていた時、仕事の車を脇にとめて、
練習をぼーっと見ているドライバーに気づいた。
35歳くらいの地味な感じの男性。
配送の途中で休憩でもしてるのかしら、と思った。
なんで仕事の車とわかったかというと、
同じ会社で父が働いていたから。
その男性は毎日、だいたい同じ時間に来て、10分くらいで仕事に戻っているみたいだった。
女子を見つめているとか、そういう気持ち悪い感じではなく、
まんべんなくどのスポーツも見て、
ときどき小さく応援したりしているのを見て、なんだかほんわかしたりした。
飛び出ていったボールを返すときに、必ず砂を払ってくれるのが微笑ましい人だった。
私が通う学校だけかもしれないが、当時は今ほどうるさくもなく、
一般人がグラウンド脇まで来て見物していても誰も何も言わないし、
そういう人向けにベンチがあるくらいだった。
他にも仕事の合間に来ているような男性もいたから違和感はなかった。
父に聞くと、
「そのルートなら多分、あいつかあいつかあいつだなー」とか言っていた。
「今度、それとなーく探りを入れてみるよ」とも。
ある日、ボールを戻してくれようとしていた彼に、話しかけてみた。
お仕事の休憩中ですか?スポーツお好きなんですか?と。
彼は、いえいえいえ・・・とかなんとか言いながら、顔の前で手を振って後ずさりしていってしまった。
私は上下長袖長ズボンのジャージの、たいして可愛くもない女子高生だったので、
よっぽど照れ屋の人なんだな、と思った。
だから、それ以降は話しかけず、たまに目があった時だけ、会釈するようにした。
彼も照れながら返してくれた。
そんなことが多分、数ヶ月続いた。春から夏にかけてのことだった。
秋になり、外での練習が肌寒くなりだした頃だった。
その日の夜、父は喪服を着て帰ってきた。
従業員の一人が亡くなって、通夜に参列してきたそうだ。
死因は?と聞くと、自殺だった、ひとりもんでな。と父が言った。
いいやつだった、無口だけど。誰も悩んでいることに気づかなかった、と。
その日以来、グラウンドの彼は、姿を現さなかった。
もしかしたら配送ルートが変わったのかもしれないし、
もっと給料のいい仕事に転職したのかもしれない。
その辺にも父は関わっている立場だったので、聞けばわかることだった。
でも、父が何も言わないのが答えであるような気がして、
結局、何も聞けないままだ。
今日、私が落とした手袋を、雪を払ってから手渡してくれた老紳士を見て、
思い出した。
ここ数日寒い日が続くウィーンですが、今日はかなり雪が降っています。
もうすぐ春が来るよ、とオーストリア人の友人は言いますが、
信じられません・・・
2年目でも、この冬は苦手です。
来年はどう思うのかな・・・
数少ない日本人のお知り合いから小説を借りてきた。
やっぱり本は紙の本である。
嬉しくて2冊も一気に読んでしまった。
最近、日本語能力がめっきり落ちているので、感想を書くのが苦痛。
なので書きません。
でも両方すごく好きな感じの作品でした。
本当は両親に船便で私の本をごっそり送って欲しいんだけど、
重いし手間だし自分が帰国した時に・・・と思っています。
「家族も友達もいない、言葉も文化も外見もまるっきり違う国で生きるなんて、あなたはすごい!」
と言われることがよくあります。
私はいつも
「いやいや、飛行機に乗って、12時間座って待てば着くし。あとは毎日、食べて寝ることの繰り返し。誰にだってできますよ」
と答えていました。
でも最近、
「ああ、私はけっこう、海外長期滞在に向いてる人間なんだな」
と思うようになりました。
私が曲がりなりにも1年以上単身でオーストリアで生き残ってる理由を3つ、考えてみました。
①最低限の英語(またはドイツ語)が話せる
来る目的にもよりますけど(ビジネスだったら話せないはずがないし)、言葉ができると行動範囲が広がるし、交友関係も広がるし、とにかく色んな可能性が広がります。
家族に英語かドイツ語ができて、役所とかで対応してくれる人がいれば必要ないのかもしれません。あとはお金があれば通訳を頼んじゃうとかでも対応は可能。でもできるに越したことは、ない。
私は死なない程度には英語ができたので、友達もできて、セーフティネットが広がりました。勉強しといてよかった。
②寛容である
スーパーの果物が悪くなってるとか、お菓子のフタ空いてるとか、卵のからにいろいろ付いてるとか、ザラです。どこの店員も基本的には仕事がなければしゃべってます。店員は愛想が悪いのがふつう。マックにスマイルはない。そういうのがいちいち気になっちゃうとやっていかれないです。
私は潔癖症でもないし、適切な衛生に関する知識を持っているので、ストレスを感じませんでした。また、日本で色々と苦労したので、その日々に比べれば大抵のことは笑って済ますことができました。
③バランス感覚
だからと言って何をされても受け入れていては、自分の快適さは手に入りません。この国の習慣や文化には笑って従いつつ、要求はちゃんと言う。他にも頑張るときと休むときの切り替えや、あ、ここは自分で頑張りすぎないで助けてもらわないとやばい、という判断も重要。
最初の方はなかなか難しかったですが、わからないときはわかるまで説明を要求したり、嫌なものはきちんと断ることをしないと、自分の生活まで脅かされかねません。
最近の私は店員に「これ割引になってない!」とか言えるようになりました。😅
他にも金銭面のサポート(私の場合は給付型の奨学金)や家族のサポート、友人の有無などありますが、お金がなくても家族や友達がいなくても大丈夫な人は大丈夫。
なんなら最初は英語もドイツ語も全く話せなくたって生きていける人だっています。
私が持ってる特性の中で一番強いのは「オーストリアでの生活が好き」ということかも。
たいていのことは「さすがオーストリア!」って笑い飛ばすことができる、それが一番重要かもしれません。
前回の記事はこちら。
1回目の治療を終え、翌日、保険会社に問い合わせ。
そうしたら、内容が「治療」なら、6ヶ月に500ユーロまでカバーするとのこと。
それを電話でドクターに伝えると、CTは100ユーロくらいだから、大丈夫でしょう、やっちゃいましょう!ということに。
ウィーン歯科大学の大学病院のアポイントメントをとってもらいました。
予約の日はとても寒くて、凍えそうでした。
大学病院の受付で再び問診票を書き、
支持された画像診断部門の受付のようなところでひたすら待つ。
・・・が、待っていても誰もこない。
呼び出しベルを押しても誰もこない。
私ともう一人、待っているご婦人顔を見合わせる。
するとご婦人、窓越しに何かを発見!
「ほら、中庭見て!みんなで休憩してるのよ、だから誰もこないんだわ!」
指されたほうを見ると、確かに、受付嬢と思われる数名の女性が、
コーヒーとタバコ片手に雑談中・・・
ご婦人と私、窓ガラスを叩いてジェスチャーで
「受付してよ!」とアピール。
するとその中の一人が笑いながらこちらに駆け寄ってきた。
「すみませーん、寒いですね!」とかなんとか言いながら。
許せない人は住めないだろうなあ・・・)
私が予約票を見せると、受付嬢は奥のCTの担当の女性を呼んでくれた。
受付嬢もCT担当も英語はできないということで頑張ってドイツ語でコミュニケーション。CTを撮る前の注意を受けるが、担当の女性が早口でばりばりオーストリアなまりなのでわかりづらい!
「ゆっくり話してください」と「もう一度言ってください」を3回くらい繰り返した。
聞かれていたのは単純な注意で、妊娠してないかとか、CTがダメな歯のインプラントとか、体内にペースメーカーとかボルトとか入ってないわよね、ピアスはしてないよね、とかでした。
CTを撮った後、先ほどの受付嬢のところに行き、Eカード(公的保険の保険証みたいなもの)は持っていないこと、プライベートの保険に入っていることを説明。
保険の請求に必要な診断書と請求書を受け取る。ここでも料金の支払いは銀行でやってくれとのことだった。150ユーロ弱かかった。
CTのデータはホームドクターに送って、そこで診断がされるとのこと。
2日後にホームドクターから連絡があり、特に異常なしということだった。
なので、次回はクリーニングのみの予約となった。
必要な書類のついでに、何か送ろうか?という母の申し出に甘えて、
食べ物や服を送ってもらうことに。
オーストリア人の友人で日本の製品が好きに人に「何か欲しいものはあるか?」と聞いて回ると、一人が「足袋ソックスが欲しい」と。
母に「足袋ソックスが欲しいって」とラインすると、
「足袋を買えばいいの?」との返事。
私「いや、足袋じゃなくて、足袋のかたちの靴下。」
母「五本指の靴下のことね」
私「いや、五本指じゃなくて、なんていうか、あえていうなら二本指」
母「指は五本でしょ?」
・・・らちがあかないので電話w 親子ともに日本語の能力が微妙。
母よ、私が欲しいのはこういうやつだ。