死ぬまでにしたいいろんなこと

墺太利(おーすとりあ)滞在6年

ただの日記。そんなことよりシュニッツェル食べようぜ、と夫は言った。

つい数日前に「元気になった!」って記事を書いた舌の根も乾かぬうちに、朝から気分は落ち込み気味である。

最近ずーっと昔のことを夢で見て、目覚めるとすでに薄暗い考えが頭から離れなくなっている。気づくともう昼に近い時間だった。シャワーを浴びて、遅い朝ごはんを食べる。落ち込んでいると食べすぎるのは、私の悪い癖だ。

 

午後は私が仕事のミーティングが1件、夫もミーティングが1件。

どちらも中心部で、時間もだいたい同じだったので、夫が私を車で送ってくれ、二人とも終わったら合流して帰る段取りに。

私のミーティングはすぐに終わり、夫のミーティング場所の近くまで歩いて行って、入りやすそうなカフェを探してコーヒーを頼む。

 

アプリでスペイン語の勉強をする。やっぱりカフェでの勉強ははかどる。でもちょっと集中しすぎたので休憩。コーヒーをひとくち含む。やっぱり Melange(メランジュ:ミルクコーヒー、上にミルクの泡が乗っかっている)はおいしい。

 

それでも気分は晴れない。私は別に極悪人ではないけれど、私が生きていて地球によいことなどひとつもない、そういうことをつらつら考える。私が幸せで喜ぶ人より、私の不幸が嬉しい人の方がどうひいき目にカウントしても多い。

コーヒーをもうひと口。アプリをドイツ語に切り替える。

 

ちょうどコーヒーが空になったところで、夫が到着。

 

助手席から初夏のウィーンの風景を眺める余裕もない。でも窓を見つめる。つい口がすべって、夫に聞いてしまった。ねえ、私が過去に傷つけてしまった人のことを思い出して、自分がより幸せになろうとすることと整合性が全くつかなくて、その事ばかり夢に見るんだけど、どう思う?

 

夫が言った。ツァラトゥストラはこう言った、みたいな荘厳な感じで。

 

その人たちがいま、生きているにしろ死んじゃったにしろ、

君はその時、それが最善だと思った事をしたんでしょ?

で、君が同じ時、同じように接した人たちの中に、ウィーンまではるばる君に会いに来てくれた人が何人もいるじゃない。

その人たちのことを考えようよ。

あとさ、シュニッツェル用にこのあいだ買った冷蔵庫の鶏肉がもう悪くなっちゃいそうだから、

きょう、とりにく、たべましょう。

 

最後だけ日本語だった。

 

家に着いて、ぼうっとキッチンの椅子に座る私の目の前で、夫がじゃがいもを洗って茹で始める。赤玉ねぎの皮を厚めに剥いて、みじん切りにする。鶏肉を取りだして、叩き、小麦粉をまぶし、卵をまぶし、パン粉をまぶして、皿に並べる。

じゃがいもが茹だったのを確認して、お湯を捨て、皮を剥き、1cmくらいの厚さにスライスしていく。ガラスのボウルに、マヨネーズ、玉ねぎ、じゃがいも、の順番に重ねていく。同時進行で、鉄のフライパンに菜種油を注ぎ、温める。

鶏肉を2枚、油にそっと入れる。音がして、油が跳ねる。ジャガイモの入ったガラスのボウルを、底の方からぐるっとひっくり返すように何回もフォークで混ぜる。フライパンの方に戻り、シュニッツェルをフォークを使って器用にひっくり返す。大きなお皿にペーパータオルをひいて、またフライパンの方に戻る。両面こんがりと仕上がったシュニッツェルを大皿に取る。油がペーパーにじわっと染みていく。

お皿とって、と言われて、白い丸皿を2枚出す。

一番最初に揚がったシュニッツェルの端っこを、夫がナイフでちいさく切り取り、私の前の皿に置く。もうひとつ切り取り、それは自分の口に運ぶ。

 

よし、ちゃんと揚がってる。熱いうちに食べ始めちゃってよ。と夫が言う。

 

シュニッツェルをちいさく切って、ポテトサラダに重ねて、口に運ぶ。

よく噛む。脂肪と油脂が滲み出てくる。それが炭水化物に絡む。そこにたまに玉ねぎがピリッとする。

 

早食いの夫が、食べ終わって水を飲みながら言う。

過去は絶対変えられないから。どんな聖人君子にも、死ね!って言う奴はいるから。

 

私はまだシュニッツェルをもぐもぐしながら、私に死ね!と思っていそうな人のことを考える。もしその人に会うことができたら謝ろう。でも、私はそれでも幸せになりたい。

 

残ったシュニッツェルを半分に切って、私は私のカウンセラー兼料理人兼精神安定剤兼超人兼a.k.a.夫に、そっとあげた。

 

 

(この人が私を嫌いになる日までは、幸せに生きる努力をできると思った、たとえ今日限りでも)