死ぬまでにしたいいろんなこと

墺太利(おーすとりあ)滞在6年

やっと終わった「こんまり式かたづけ」

続きです。最後です。

 

yyyamori.hatenablog.com

 

 

ついに片付けが終了しました。

 

びっくりするほどきれいになりました。

 

捨てきれてないというか、

「ほんとうにときめいてます?」

っていうものが、いくつか残ってしまいましたが、

(コート1着、名刺、写真など5点)

それも全部リストにして、リマインドを設定したので、おそらく問題はないはずだ。

 

片付けして、何が変わるか、

何も変わらないのか、楽しみです。

 

今、感じている変化は

「ものすごい不安を感じていること」

 

何か変化があったら、また書こうと思います。

自分の生き方と、ものをたくさん持っているオーストリア人の生き方との、対比

片付けにちょっと疲れてきました。

息抜きに、片付け中に思ったことを書きます。

 

知人に2人、ものをたくさん持ってる人がいます。

二人とも男性、ひとりはドイツ人。彼はアンティークコレクター。

 

もうひとりは、オーストリア人。

彼の趣味のコレクションもさることながら、

小学校のときに夢中になっていたゲームとか、

歴代の仕事道具とか、全部とっといてあるのです。

さらには無くなったご両親のものとか、さらにご先祖様からのものも。

 

断捨離がもはや常識の国からやってきた私には信じられない量のものと一緒に生きている彼。

 

ものが増えるたびに広い家に引っ越しているらしい。

さらにそれだけの家を用意できる経済力があるのがすごい。

 

ここ連日の「ときめかないものは捨てる!」という日々のなかでふと、

 

彼が小さい頃遊んでいたゲームを引っ張り出しながら、

思い出話をしてくれたのを思い出して、

「私はそういうもの、何もとっておいてないなあ」と、

少しさみしくなりました。

 

まあ、Altbau という、第二次世界大戦前からの古いアパートメントがごろごろしており、

その屋根裏から歴史的に貴重な資料が見つかった!みたいなニュースもごろごろしている国の人だから、

考え方も違うのだろう・・・という結論にいたりました。

 

なにより単身、遠い島国からヨーロッパにやってきたわが身に、

郷愁のためだけの形あるものは無用の長物。

 

なんだか本当に根無し草だわー、と思いました。

自由ですがすがしいので、私には合っているのですが。

 

一方で自分の歴史も家族の歴史も、

ずるずるずるずる、引きずりながら生き、

それを全部うけいれられるだけの家を保っていく彼ら。

 

私は彼らの「重い」生き方を尊敬するし、

彼らも私の「身軽さ」を尊敬しているらしい。

 

両方のタイプの人間がいて、世界はうまくバランスをとっているんだろうな、

と思いました。 

 

 

 

「捨てる」作業を終えて「ものを配置する」ところまで来ました

昨日の続きです

 

yyyamori.hatenablog.com

 ゴミ袋でいうと30L入りが6袋分くらいのものを処分しました。

 

ずっとつけている日記の古い分も捨てました。

ただ、海外在住日本人だからなのか、日本の食べ物のストックがすごくて、

これは捨てられませんでした。

今後どのように管理していったらいいのか・・・

 

結構な量のものを捨てたんですが、それでもものが多すぎる気がします。

今後も引き続き頑張ります。

 

 

 

本が終わって、書類・化粧品が終わりました

昨日の続きです

 

yyyamori.hatenablog.com

 

本をやってみて、前回わたしが「こんまり流」片付けに失敗した理由がわかりました。

 

それは

 

「ダメな自分・不安すぎる将来」に目を向けたくなくて、

テキトーに捨てるモノを選んでいたから

 

でした。

 

お金がなさすぎて不安で服が捨てられない。

 

将来もしかしたら使うかも・・・と大学の時に買った資格用の高い教科書が捨てられない。

(もうその資格をメインに働く予定はありません)

 

これでは「わたしはいつまでたっても貧乏で、過去の栄光にすがりついてます」

と言っているのと同じなのかも。

 

特に実用書、参考書や教科書は怖くて怖くてなかなか捨てられません。

捨てようとすると胸が張り裂けそうでした。

 

一度は捨てるモノのゾーンに運ぶが、トイレに行って帰る時に拾って帰って来ちゃう始末。

 

 

「大丈夫、必要だったら、必要な時に、また手に入る」

 

と何回も何回も自分に言い聞かせました。

 

・・・・・ホントかな(TT)

(自分で言っておきながら・・・)

 

でも、今回の「捨てる作業」は、

なんだか絶対に真剣に向き合わなければ、と強く思うのです。

 

多分、人生最後の片付けになるような気がしています。

 

引き続き頑張ります。

 

とりあえず服の片付けが終わりました

昨日の続きです

 

yyyamori.hatenablog.com

 

↑の記事で述べたように、突然私が死んだ時のことなども考慮して、

もともと物を持たないようにしているので、

服で「ときめかないもの」はそんなに多くなく、

30Lの袋一つ分でした。

ウィーン市内各所に置かれている寄付ボックスに入れてまいりました。

 

今日は本です。

これは難しい。

日本語の本ってこちらで簡単に手に入らないし、

実用書はともかく、小説は捨てられない私・・・

 

でもがんばります。

それでも片付かない私はなんなのか

留学に来た当初は1年未満で帰る予定でした。

 

(縁あって奨学金が延長になったり、

奨学金終了後も働くことができる場所を見つけたので、

今はオーストリア永住希望です。

少なくとももう少し長くいたい。オーストリアの生活が気に入ったので)

 

そんなわけで、いつ帰ることになってもいいように、

また、私に何かあった場合の片付けが楽なように、

荷物は最低限にしようと心がけて生きています。

そもそも学生向けのフラットに住んでいるので、

物を置く場所はない。

 

なのに!なのになのに!

私は片付けができないのです・・・

 

というわけで、こちらの本を読んで、

今日からがんばります。

 

マンガで読む人生がときめく片づけの魔法

マンガで読む人生がときめく片づけの魔法

 

 オリジナルの方は日本で買って読んだんですけど、

実践したところ、

必要な物まで捨ててしまい後悔するということ経験しました。

「ときめかなくても必要な物があるじゃん!」と思って、

当初はこの本を恨んだりもしたのですが(笑)

あとから振り返ってみると、

ちゃんと「ときめき」を吟味していなかったり、

次に新しく「ときめくもの」を吟味して買えばよかっただけなのかも、

と思いました。

 

最初のチャレンジだから失敗しても当然ですし、

そこから学んだ今、私にはできる気がなんとなくしている・・・!

 

今回は時間をかけて、慎重に吟味しながらいきたいと思います。

 

ちなみにオーストリアの書店でもドイツ語版が買えます。

片付けが苦手で引越しのたびに大変なことになっているオーストリア人の友人にプレゼントする予定です(笑)

 

 

 

「絹さやの下処理」に思う、小さなカルチャーショック

日本語が習いたい、日本に興味がある、というオーストリア人は、

日本料理も好きな場合が多く、

タンデムパートナーの何人かと、自国の料理をお互いに作る、というのをときどき、楽しんでいます。

 

今日はタンデムパートナーが肉料理の付け合せに野菜炒めを作ってくれました。

日本で言うところの「絹さや」を入れようとしていたのですが、

なんと彼、すじをとらないのです。

 

私が「え、すじとらないの?」って聞いたら、

「そんなことするなんて聞いたこともない」というので、

試しにとってあげました。

 

実食後、

「いつもすじのところが必ず1個か2個、口に残ってイーっ、ってなってたのが、今日はなかった!今度からすじはとることにする!」

と大変喜んでいました。

 

彼だけが知らないのか、オーストリアの人はみんなすじとらないのか、

どっちかわかりませんが、もしみんなとらないのだとしたら、

日本の「子供がよくするお手伝いの定番」としての「絹さやのすじとり」が

わかってもらえないんだなー、と思いました。

 

ちなみに、こういう「ちょっとした常識の違い」で一番驚いたのは、

「はさみの渡し方」

 

日本だと小さい頃から、他の人にはさみを渡すときは刃のほうを握って渡す、と習いますよね。

あまりにも当然のように身に染み付いていたことだったので、

留学してすぐに同僚に「はさみ貸して〜」と頼んで、

「はい」と刃のほうをにゅっ、と突き出されたときに、

脳がそれを受け入れられなくて、フリーズしてしまったことがありました。

(それまでの生涯ではさみを刃のほうから渡されたことがなかったからだと思います)

 

私の脳ってあまりにも「常識」と思ってることが覆されると、

こういう反応をとるんだ!と興味深かったです。

 

こういうちょっとした違いってけっこうおもしろいです。

他の人や他の国・地域では、また違った経験があるのでしょうね。

どんなものがあるのか興味があります。